孤独にそっくり

開いている窓の前で立ち止まるな

モラトリアムの終焉

昨日、大学院を修了して、遂に社会に出るまであと1週間ほどになった。

はっきり言って高校時代から特に何かに熱中するわけでもなく、動画投稿サイトを眺めたりまとめサイトを読んだり、SNSで時間を浪費してきた。有益っぽいことと言えば読書と映画鑑賞くらいだけれど、もはや何も覚えてない。
最近ではゲームやSNSも億劫で、ぼーっと音楽を垂れ流しにするか、まとめサイトを読んだり読まなかったり、本を読んだり読まなかったりしている。
誰かと関わるのは、大学関係かバイトの人くらいだった。あとは、よくわからない人と飲み屋でしゃべるくらい。
他人と関わるのは面倒だし何もしたくない。それがすべて。
社会に出るからと言って、何かしたいわけでもなく、出来れば今のそれなりに健康でまあまあ快適な生活が続けばいいと思っている。
暇があれば、いつか読もうと思っている哲学書でも読んでみたい、それくらいしか思っていない。
勉強したいことはあれども、やる気も起きない。筋トレもしない。
肝臓を破壊してからはあまり酒も飲みたくない。
ちょっと飲みすぎると一週間は引きずるからだ。
前のようには飲めない。一病息災か。

社会に出るにあたって感慨も希望もなく、ただ、他人と同じように過ごすんだろう、つまらない人間だと思っている。
願わくば、革命家にでもなってこの世界を転覆させたいとは思っているけれど、思うだけ。
人々が社会や経済に疑問を持たず、何の批評性もなく日々を過ごしているのを横で眺めて違和感を覚えながらも、自分から何かをすることはない。
楽しもうと思えば、世界はもっと愉快に違いない。そんな気もするけど、自分の肉体及び脳みその不自由さに苛立つ性分だから何もしないほうがいい。
そう思うようになってしまった。

少し前から、旅だったり、自宅以外で寝ることに何も感じなくなった。
子供の時は、家の外で寝るときはドキドキしていたものだった。
けれど、今ではどこへ行っても変わらない景色、そして自分という変わらないものに包まれている限り、どこへも行けないんだと思う。
旅行するくらいなら小説でも読んでいたほうがよっぽど遠くへ行ける。

人生に関しても同じだ。
どこへも行けないという諦め、他人を見ていても、どこへも行っていないようにしか見えない。
人々は、自分が可能な範囲でそれなりに生きている。
どこかへ行こうとすらしない。

逆に、最近は「どこまで行けるか」を考えるようになった。
この退屈な生活でどこまでいけるか。
決して幸福を満喫していなくても、どこまでいけるのか。

関係ないけど、ロッジの『どこまで行けるか』を買ったから早く読みたい。
何も考えずに書いて、このまばらな文章をネットに放流する。
いい加減で馬鹿らしく、つまらない人生。それがこれからも続くんだ。