孤独にそっくり

開いている窓の前で立ち止まるな

雑記1024

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ブコウスキーかっこいい


9月頃から目標にしていた応用情報の試験が終わって、一気に現実に引き戻されている。
研究も進めないといけないし(本当に何もしてない)、就活のことを考えないといけない。
どちらもどうすればいいのかよくわからないし、これから自分がどうしたいのかも分からない。
こうなりたい、こうしたい、そんな気持ちはあまりないけど、こうなりたくない、こうしたくないはたくさんある。
いや、本当はなりたいものがたくさんある。漫画家になりたいし映画監督になりたいし小説家になりたいしスーパーハカーになりたいし…。そんな妄想はたくさんある。
そのために何をしているのかと言われれば、何もしていないのだからやっぱりやりたくないことを考えたほうがすんなり出てくるし自分に嘘をつかなくてすむ。
例えば、貧乏にはなりたくない、病気にはなりたくない、それに、普通の人間になりたくない。
裏返して否定的どうなりたいか考えてみると、そこそこ金持ちで、健康で、何者かになりたいんだと思う。
ショーペンハウアーの幸福論を読んでいると、「幸福は否定的なものだ」みたいな言葉が出てきた。
不幸は目に見えるし数え上げられるけど、幸福そのものを見つけるのは難しいのだ。
「たいせつなものは、目に見えない」とか、「幸せは失ってから初めて実感する」的なもんだろう。
ただ、普通な言葉でも、ショーペンハウアーくらいの大哲学者がいうと説得力が違う。
昔、変わり者の友人が「俺は別に幸福になんかなりたくない」みたいなことを言っていた。
もう会っていないから今も同じことを考えているのかは知らないけど、僕はそれほど強くない。せめて否定的な幸福でも欲しがってしまう。
もっというなら、身体の半分を仕切ってる強欲な自分は肯定的な幸福をも欲しがっている。ショーペンハウアーが定義した3つの幸福の源泉のうちの、「地位、名誉」みたいなものだ。
一体自分は何者なんだろうか。実存、実存、実存。
就活のことを考えると、人間のことを考えるハメになって、ぐるぐる回ってる。
今読んでるスタンダールの『パルム僧院』があまり面白くないから読書もはかどらないし、何もしてくない。ただぼけっとYoutubeを眺める日々になってしまっている。やるべきことはたくさんあるのに、手足は鉛のように重い。よだれを垂らしながら、インターネットの情報を右から左へ、頭の中を通過させていく…。
自分の年齢をよく忘れるが、最近自分の年齢を確かめてみて、空恐ろしくなった。世の中のほかの人々は、その人の持ち味なり、趣味なり、仕事なりを手にしている。
僕の手には?いったい何が握られているのか。空っぽ。ただ、羨望のまなざしで他人を眺めているだけだ。
同時にこの先に人生を想像する。これまで空っぽのように生きてきた自分がこれから様変わりして何者かになれるだろうか。
僕の身体、性質、脳、そいつらが僕をがんじがらめにしてしまう。ぺちゃくちゃしゃべり続ける、熱にうかされたように、フョードルカラマーゾフのように。ただ、そのおしゃべりには、何の意味もない。
それが僕はただ恐ろしい。考えても脳みそはうんともすんとも言わずにいる。気の利いたことの一つも、満足いく一言も出てこない。
この支離滅裂な記事もそうだ…。
この間、ブコウスキーの『パルプ』を読んだ。最初は帯の文句が臭くてあまりノれなかったけど、やっぱり面白かった。
訳がどうのことのはわからないけど、柴田先生は相変わらず読みやすくていい。『翻訳教室』を放置してるから読まないと。英語も勉強しないと…。
パルプ』の筋はどうでもよかったけど、時折見せる人生に対する悲しみみたいなものがよかった。ブコウスキー節って感じ。
自分がこれまで読んだブコウスキーの作品は、『町でいちばんの美女』と『死をポケットに入れて』だけだけど、何となく特別な作家のような気がしている。
パルプ』を読んでそれをまた再認識したから、『くそったれ!少年時代』と『勝手にいきろ!』を買った。Amazonの配達がひっきりなしにうちに来る。
『パルム僧院』を読み終えたら『くそったれ少年時代』を読むことにする。そういえばなぜか、セリーヌの『なしくずしの死』も買ったから、そのうち読もう。
面白い本を読むと本が読みたくなるけど、退屈してしまうと捗らなくなる上に、読み終えるまで次の本に行きたくないから一向にすすまないのはどうしたものか。
ショーペンハウアーの『幸福論』もなかなか読み終わらない。こっちは面白いんだけど、文章が濃密だから進まない。
研究も、就活も、それとなく終わらせられたらいいな。でも、いつまでも子供みたいな考えがぬぐえない僕はどうしたらいいんだろうか。
社会がくそったれなのか、自分がくそったれなのか、何もわからない。わからないことは、こんなにも辛い。頭は混乱していて、明晰さを欠いている。
スタンダールについてほめるべきところがあるとするなら、文章が明晰なこと。僕はどうしたって明晰で論理的にはなれそうにない。

スタンダール曰く

彼は困難の周囲をぐるぐるまわるばかりで、それを乗り越えることができなかった。彼はまだ若すぎた。彼の魂は暇なとき、想像力がいつでも作り出してくれる、ロマネスクな状況から生じる感覚を味わう喜びにふける。事物の真の特性を辛抱強く見つめ、その原因を見抜くために時間を用いなかった。現実はまだ彼には平凡で不潔に見えた。私は人が現実を見つめるのを好まぬのを認めるが、それならば現実について推理すべきではない。特に自分の無知の様々な破片を持って異議を唱えてはならぬ。

なるほどなぁ(?)

好きな曲を貼っとく。
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