孤独にそっくり

開いている窓の前で立ち止まるな

少し乗り越えて

こんにちは
この間久しぶりに大酒を飲んだんですが、気を失っていつの間にか所沢を徘徊してました。
それで、気が付いたら駅から遠いわけわからんところ歩いてて、マジでビビった。眼鏡なくした。


その日は寒すぎて死にそうだったので、心優しいトラックの運ちゃんとタクシーの力を借りて家まで帰りました。
本当にありがとうございました。ほんとに死にそうでした。

それはよかったんですが、翌日から微熱&食欲不振及び肩こりでしばらく療養してます
いくらでも引きこもれるのは学生の特権
今度は何の病気だろうか…?
もしかして、再発した!?と思って病院に行ったけど、特に異常はなく「風邪じゃね」って言われました
最近せっかく病気から復帰していたのにまた体調悪くなるなんて馬鹿すぎる自分
ため息をつきたくなります

あと2ヵ月もすればほぼ社会人なので、どうしたもんかなって思ってます
酒で失敗したくないし、外では飲まないようにしないと…
幾たびにも及ぶ酒での失敗をまったく活かせない

最近は修論の準備とかで忙しいかと思ったら、いつの間にかやること終わって(?)審査会を待つのみです
糞適当に書いたけど、卒業は出来そうでよかった
早く解放されたい

そんな感じでつかの間の暇な時間を味わってます
特に何もすることがない

ピアノ弾こうにも楽譜読むのめんどくさいし、映画も見たいのないし、読書もはかどらないし…
久々にやろうと思って買ったスト5は下手すぎてすぐ飽きちゃうし、引っ張り出してきた数学の教科書も数Aが詰まらな過ぎてやめました。

何かしたいなーと思うんですが、二秒で飽きる、ってのを繰りかえしてなにもならない人生。
どうしようもないね。

唐突ですが、かろうじて読んでる福田恆存
「人間の生き方、ものの考え方」の一説がとてもよかったのでコピペ。

「愛」という言葉がございますが、私達は人間の心と心がそのように完全に一致することがありうるのか。あり得ないのではないかという一つの絶望感ー伝達不能、愛の不可能という一つの絶望から出発しなければならなぬと思います。もし愛というもの、伝達というものがありうるとしても、その場合も一応その絶望から出発しなければならない。それを越えれば、初めて何かの道があるであろう、というより、その絶望を超えたもののみが、本当によく愛しうるし、自分の意思を人に伝達し、人の言葉をよく理解しうるようになるのだということになるかと思います。

福田恆存:『人間の生き方、ものの考え方』
pp75

絶望からの出発。
それは力強い言葉です。

絶望ってそこら中に転がってるなと最近思っています。
たとえば、自分が住んでる家とか、電車とか、電気とか、水道とか、お風呂とか、何でもいいんですけど、本当に何もないところから人間が生み出したわけですよね。
それってよく考えたらすごいことで、絶望感とか無力感に立ち向かった結果じゃないんだろうか、みたいないい加減なことを思っています。

ただ、病気とか障害とか、あるいは幸福とか愛とか、不条理でどうにもならないこともあって、そういったものには戦いを挑み続けないといけないなみたいな。
やばい自分で何を言ってるのかわからない。

漠然と思っていることを言葉にしてみるとまとまりがなさ過ぎてびっくりしますね。
とにかくなぜかわからないけど福田恆存の言葉がささりました(笑)

あーなんもしたくねえ。
考えが一切まとまらない。まとまった試しがない。

漠然と孤独や人生や幸福について考えて、絶望して、あきらめて、そんなことのくりかえし。
もっと頭が良ければ?あるいは?
とも思いますが、ないものねだりかな。

きっと何も考えていないんだろうと思います。
考えるために勉強したけど、面倒くさくて動けない。
こんなに自由なのになんで身動きが取れないんだろう
不思議ですな


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