孤独にそっくり

開いている窓の前で立ち止まるな

雑記20210220

冬の終わりを感じさせるような陽気になったかと思えば、すぐに寒くなりを繰り返すような不可思議な天候の中、最近は生活にあまり変化がないためか、ブログも紙媒体の日記も書いていなかった。
最近の生活はだいたい3パターンくらい。

  • カフェ行き、UdemyでReactの勉強→ジムで水泳

  • 何もする気が起こらず、家で一日虚無に過ごす

  • 無職友達と早い時間から酒を飲む

ストレスはないし、それなりに楽しい生活をしている。
問題となるのは、将来への不安と、金のなさくらいか。あとは気楽なものだ。
金のなさはいよいよもって現実味を帯びてきており、再来月には家賃が払えるか怪しくなってきた。
坂口安吾に言わせれば、人間は堕落しても堕落しきれないということなので、まあ自分に期待しておく。
上記のような生活を続けられるのであれば、それなりに楽しくはあるので問題ないが、今日は深夜に虚無が訪れたので、こうしてブログの更新を行うことにしたわけである。

最近は哲学関連の本をよく読んでいた。
倫理の教科書、バタイユ入門、死の哲学入門、ウエルベックショーペンハウアー本など、、、まちまち興味のあるところをさらりと。
その始まりになったのはやはり飲茶氏の史上最強の〜であって、あの2冊が虚ろな自分をまたしても哲学に向かせる契機になった。

ただ、記憶能力が低いので、読むたびに理解したものごとを忘れてしまうし、閉じた本の内容は閉じた本の中にのみ存在しているような状態がとても残念でならない。
独自の哲学を構築したいと贅沢な事は言わないので、せめて西洋哲学史のおおまかな流れと、哲学者の主要な主張を理解し、入門書ではない哲学者自身の著作をざっくりと読むくらいなことをしてみたいものだ。

そのうち、自分の言葉で記事でも書き起こしてみたりしないとだめなんだろうかと思った。
アウトプット8割が効率的な学習だとアウトプット大全に書いてあった気がする。

倫理の教科書で流し読みをしたりしていると、やはり自分の興味は自分自身の孤独や虚無感、悲しみについてであって、キルケゴールの次の言葉がそれを指し示していると思う。

わたしにとって真に必要なことは、何を認識すべきかではなく、何をなすべきか知ることである。(中略)だいじなことは、わたしにとって真理を見出すこと、わたしがよろこんでそのために生きかつ死ぬことのできる理念を見出すことである。― キルケゴール

これは倫理の教科書からの書抜だ。
自分にとって興味のある哲学者は生の哲学と実存哲学であって、下記のような人たちかなと思ってる。それから東洋哲学も。

気が向いたらゆっくりと読んで行ければ良いかなと思っている。

プログラミングの勉強に関しては遅々として進んでいない。
40時間くらいあったReactのコースをUdemyでやっと修了したばかりだ。なんとまる1ヶ月はかかっている。
内容としては、React、Reduxを含む広い範囲に渡っている。
次は実践アプリのコースを受講することで、諸々復習しながらアプリ構築の仕方を学べればと思う。

無職になった当初は、もっとアルゴリズムの勉強をして、コンピュータ・サイエンスの基礎論も勉強して、英語の勉強もして、シナリオの勉強して、時間があればピアノも弾いて、、、と妄想していたがはっきり言って自分にそんなバイタリティはなく、今後も発揮されることもないだろうとこの数ヶ月で理解した。
いや、もともと理解していたが、人間は目的と手段がうまくハマれば行動を変えられるとも信じていて、それを実践するんだとちょっとばかし意識を高めていたわけだが、目的がないためにすべてが頓挫したのである。
習慣化や学習についての方法論は、小さな習慣やアウトプット大全、エンジニアの知的生産術なんかを読んでほうほう、と関心していたわけだが、それらの知識が発揮されることはついぞなかった。
何もしたくないのだから仕方ない。
できることといえば、ゆったりと読書をして、クロールをして、それから少しの時間Reactの勉強をするくらいなものだ。
おしゃれなサイトを構築するの自体には魅力を感じるので、ちょっとずつ勉強を進められたらと思う。

シナリオ、、、そうだシナリオだ!俺は小説家になりたいんだ!と一生口先人間で、この度もまた創作のその字も行わずに時間だけが過ぎていった。
プログラミングの勉強もそうだが、結局は練習しかない。作家になるためには、書くしかないのだ!とあらゆる本で宣言されている。
それができる人間が作家で、それができないのが俺というわけか。

今日の虚無の原因はそういった全てに対する無力感から来ている。
自分が好きで没頭できること。
それでいて、他人より少しだけ優れるもの。
そんな素敵な事物を夢見て生きているが、ひとつも見つからずにおじさんになってしまった。
何でもいいんだ。お絵かきでもピアノでもゲームでも、あるいは小説やプログラミングや、ブログを書くことだっていい。身体を動かすことでもいい。
そうわかっているのだけど、俺は何にも興味がない。
映画や読書に励んでも、知識を蓄え、華麗に批評するようなこと、ふかよみすることもできない。
ただ、見て、ただ、読んでいるだけだ。
ショーペンハウアーが言っていることをとても浅いレベルで繰り返し行っているだけなのだ。
つまり、世界は全く無意味で、それなのにも関わらず、なにか目的を追いかけてぐるぐる回り続ける滑車の中のハムスターのようなもの。

働かなくてはならないことは理解しているが、それも目的を欠いてはモチベーションもクソもない。
いったい自分はなんのために生きているのかと問う日々なわけである。

ただ興味があり、それをやっていると没頭してしまうものがあればよいのに。
これで一生遊べるなと思えることがありさえすれば救われるのに。
俺にはそんなものがひとつも見つけられずにいるというわけである。