孤独にそっくり

開いている窓の前で立ち止まるな

雑記20210401

久々に日記でも書く。
もう3月も終わって、ついこの間27歳になった。
仕事を辞める当初に2カ年計画を立てて28歳くらいまでに何者かになりてえなと思っていたけど、当然のようにそんな計画は机上の空論で終わって、27歳になった今となっても別に何も成長していない。

UdemyのReactのフロント側の講座を一通りやってみたり、AtCoderのAB問題をほぼ埋めてみたりしているけれども、何かが進んでいるとは思えない。
読書は楽しくてちまちま好きな本を読んでいる。
無職になってからシナリオについての本を沢山読んだけれど、相変わらず文章は書けないし、物語作家になんてなれるとは思えない。
人生においてなにか目標があるとすればそれくらいなものだけど、一向に進んでいないわけだ。

退屈で怠惰で、苛立っていて、孤独を欲している。
ここ数日、『天才たちの日課』という本を読んでいる。
作家や画家、映画監督、作曲家に詩人、哲学者など様々な分野の天才たちの日々の習慣を羅列した本だ。
天才たちはたいていぶっ飛んでいて、おかしなエピソードを持っているから読んでいて楽しい。
そしてまた、創造的な時間を獲得するための苦悩もあって、それはそれで人間として親近感が湧いて良い。

金銭面では、コロナ禍による失業手当の期間延長のおかげで、あと1、2ヶ月は食べていけそうだ。
しかし、世間一般的に言えば、「空白期間」がどんどん間延びしていってるのは、いささか問題だ。
君は何をしていたのか?と聞かれたとき、プログラミングの勉強ですといえるほど、何かを学んでいるわけではない。
実際には、ただ毎日、Youtubeを見て、人生の不幸を憂いて、ちょっとだけ悲しみのこもった本を撫で回しているだけにすぎない。
俺は何ができるのか?
何もできやしない。
社会に必要とされない人間。俺の方も社会を必要としてはいない。
というのは言い切ってしまうと嘘になるが、できる限り遠ざかりたいものではある。

これからどうしようか、という考えが頭によぎる。
ポートフォリオ的なものを作ったところで、優秀な大学生エンジニアの足元にも及ばない恥ずかしい一物を作る程度なのは目に見えている。
しかし、それ以外の職業に今の所さして興味もない。
友人のように勤勉に小説を書いて新人賞に応募することもしていない。
ただ生きていたいだけなのに、こんなにも先のことを考えて不安に思わないといけないとは、めんどくさくてたまらない。

俺は何がしたいのか?俺はどうなりたいのか?
そんなこと他人に聞かれなくたって、俺が一番知りたい。

唯一断言できるのは、俺は君たちの中の誰にもなりたくないということだけ。
思春期じみた発想、言動。
しかし、守るものがなければ大人になる必要なんてないのだと思っている。
世間体、愛するもの、子供、誇り、他には?
他人の話を聞いても何一つ納得できない。
みんな薄々気がついている。自分の仕事が大したものではないこと。
自分が生きていても大したことにはならないこと。
価値なんてものはどこにもありやしないこと。
一切が空虚であること。
そうした耐え難い現実から逃れるために、日々をなんとなく忙しくしている。

俺にはそれもまた耐え難いのだ。
『天才たちの日課』で誰かがこの仕事がなければ、わたしは気が狂っていたんじゃないかといっていた。
俺にはそれが必要だ。自分を肯定しうるような「仕事」。
金を稼ぐためではない、とにかく自らを一時でも没入させてくれるようななにか。

天才たちの日課

天才たちの日課

もう一冊面白い本を読んだ。
アットホーム・ダッド」や「結婚できない男」の脚本家が書いた脚本家になるための本である。
その中で繰り返し説かれていたのは、映画をたくさん見て、分析しろ。
とにかくそうすれば、自分の脳みその中に「回路」のようなものができて、物語を作れるようになる、という話だ。

全く実践的でおっしゃるとおりだと思う。
そしてそれはやらなくてはいけないこと。
俺は面倒臭がって、それをずっと避けてきた。
けれどもやっぱりやらないことには、脳みその中にそういう回路ができないのだ。
自転車の構造を知っていても、自転車は漕げない。
そういうことらしい。

記録力が生まれながらに冴えている人はいいよな。
頭の中で作業が完結するのだもの。
俺はきっと、地道にプロットやセリフやレイアウトを書き出していかないと行けないのだろう。
映画や小説や漫画について。
そうしないと、ほんとうの意味で自分が作りたいものが作れないのだ。
時間がない。死んでしまう前にひとつくらい作り上げなければ。
読みやすくていい本だった。

3年でプロになれる脚本術

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